論語とは
孔子はどんなひと?
孔子の功績としては、それまでシャーマニズムのような原始的なものであった儒教を体系化したことが挙げられます。儒教の元となったのは、魯の開祖とされる周公旦が定めた「周礼」と「儀礼」で、孔子はこれらをベースにしてまとめ上げることで儒教を創設していきました。また孔子は自らの思想を政治の場で実践することを望みましたが叶わず、その功績や思想が認められたのは死後になります。生前の逸話として、飲食に関して強いこだわりを持っていたと伝えられており、粗末な食料は食べず、当時の世情からするとなかなかのグルメだった一面もあるようです。
孔子の生涯
孔子は3歳の時に父を無くし、17歳の時に母を無くしますが、勤勉に励み、礼学(いわゆる当時のマナー)を修めます。のちに弟子の子貢の伝えるところによれば、特定の学校で学んだわけではなく独学であったともされています。
19歳に結婚、翌年に子供を授かり、28歳までに魯に仕官しています。魯では倉庫や牧場を管理する仕事に従事し、このころに初めての弟子をとった記録が残されています。
36歳になると、クーデターが失敗し斉へと追放された主君を追って孔子も斉へと亡命します。その後再び魯に戻ってからは、長く士官することなく、弟子の教育に励むようになりました。
このころに著名になる弟子たち(顔回、子貢、仲弓)などが入門しています。その後何度か国政に取り立てられる機会はあれど実らず、52歳の時に魯の26代君主定公によって中都の長官に任命されます。翌年の催事の際で、敵国の宰相による計略を見破った功績を称えられ、最高裁判官である大司寇と外交官に就任し、数年間務めたのち紀元前497年に退きます。
それから13年の間は弟子たちとともに諸国を転々とし、魯国に帰国したのちは74歳で死去するまで支所などの古典研究に励みました。孔子の死後も、孫の子思によって儒学は伝えられ、性善説を唱えた孟子も弟子入りしています。今回ご紹介する論語は孔子の死後、弟子たちの編纂によって書き上げられました。
論語 全20篇とは
ただ注意点としては、論語の言葉は短く断片的であるため、解釈は定まっておらず読者によって様々にできるということです。それゆえに論語を読むということは論語の言葉をきっかけに心に映る己を見て解釈を見つけることと言え、読み手の読み方次第ではなんの役にも立たないこともあり得るかもしれません。
論語の中の名言集
巧言令色、鮮なし仁。
故きを温めて新しきを知る。
朋あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや。
義を見て為ざるは、勇なきなり。
十五にして学に志す、三十にして立つ。
これを知る者はこれを好む者に如かず。
徳は孤ならず。必ず隣あり。
民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず。
転じて政治を行う者は、民衆を従わせれば良いのであり、その道理を理解させる必要はないという意味。なかなか恐ろしい言葉ですね。
朝に道を聞きては、夕べに死すとも可なり。
未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。
転じて死を考えるよりも、今、生きている間のことを考えることが重要という意味。
過ちて改めざる、是れを過ちと謂う。
ありがたい言葉ですが、親鸞は「さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべし」といっており、スーダラ節では「わかっちゃいるけどやめられない」などと歌われたりもしました。
後世畏るべし。
任重くして道遠し。
子、怪力乱神を語らず。
まとめ
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